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フードスタジアムセミナー×焼肉ビジネスフェア2018 ミートフード EXPO 「新時代の焼肉店の勝ち方!〜大繁盛店の経営者に学ぶ〜」イベントレポート

焼肉ビジネスフェア2018
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1月24日、フードスタジアムは「ミートフードEXPO~焼肉ビジネスフェア」内にて、「新時代の焼肉店の勝ち方!〜大繁盛店の経営者に学ぶ〜」と題し、セミナーを開催した。ゲストは、街場の焼肉店から商業施設など都内6店舗を展開する「正泰苑」の金 日秀氏と、東京八重洲で一躍大ヒットを飛ばし、都内9店舗を展開する「炭火焼ホルモン ぐう」の呉 成煥氏の2名だ。彼らの創業から現在までの経緯や経営秘話、これからの焼肉業界についてなど、普段、語られることのない話を明かしてもらった。

出演者

株式会社正泰苑 代表取締役:金 日秀氏

株式会社正泰苑 代表取締役:金 日秀氏

株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役:呉 成煥氏

株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役:呉 成煥氏

フードスタジアム株式会社 代表取締役:大山 正

フードスタジアム株式会社 代表取締役:大山 正

創業から現在まで

大山 正(以下、大山):毎月、よりハイレベルな店、会社、人づくりを目指す飲食店経営者のための勉強会として、弊社が開催する「フースタ繁盛ゼミ」ですが、今回は「ミートフードEXPO~焼肉ビジネスフェア」内での開催となりました。ゲストは、金 日秀さんと呉 成煥さん。今、焼肉業界で注目の経営者です。まずは金さんから、自己紹介からお願いいたします!

金 日秀氏(以下、金):焼肉店「正泰苑」を運営する金 日秀と申します。「正泰苑」は、私で2代目。創業店は、荒川区町屋という職人と悪ガキしかいないような街で、駅から徒歩13分のところにあります。創業当時は10坪10テーブルの小さな店でした。私が小学4年生のころ、親が事業で失敗をしまして。それでどうしようかとなったとき、当時、「在日韓国人は焼肉をやれば食べていける」というセオリーがあり、それに乗っかるかたちで両親が焼肉店を開業しました。それが私の焼肉人生のはじまりです。ただ、それまでは事業をしていた両親が一転し、お客さまに対して「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と頭を下げる姿が幼心に衝撃を受け、正直言うと、当時はあまり焼肉によい印象はありませんでした。でも、焼肉は食べるととてもおいしい、という気持ちもあった。焼肉に対して複雑な思いを抱いた幼少期でした。そして今から23年前、私が27歳のときにその店を継ぎました。

大山:今では大繁盛店の「正泰苑」ですが、金さんが継いだ当時はどんなお店だったんですか?

:お客さまはなかなか来ずに、最初は苦労の連続でどん底状態でした。お恥ずかしい話ですが、継いだ最初の月の売り上げはたった87万円でした。1日の売り上げではなく、月ですよ、月。でも、従業員は妻と母だけだったので、意外と生活はできてしまうような状況でした。

創業当時の「正泰苑」。おもに夫婦で切り盛りしていた

創業当時の「正泰苑」。おもに夫婦で切り盛りしていた

大山:今の「正泰苑」を知る人からすると驚くような事実ですね。ここから現在のようなブレイクはどのようにして作られたのでしょうか?

:やはり、店を繁盛させるには、強烈なくやしさや喜びのような感情がないとダメだと思います。焼肉店を継ぐ前、私は調理師学校の講師の仕事をしていました。ただ、調理師学校の講師でありながらも現場経験がなく、自分を薄っぺらく感じていて、辞めました。講師の経験から調理には自信があったのですが、継いだ店では売り上げは上がらず、毎日、同じことの繰り返し。それでも生活はできてしまう。私はこれから一生このままなのだろうか?という悲壮感を抱えながら3年ほどが経っていました。

そんなある日、転機となる出来事がありました。いつものように仕込みを終わらせたら、店に設置してあるテレビで、夜の21時から火曜サスペンス劇場が始まりました。そしてすべてを見終わって23時。「あれ?」と思いました。その間、お客さまが誰一人として来ていないのです!そのときに、「このままじゃやばい」とはっきりと危機感を覚えました。生活はできるけど、これを一生続けるのか?焼肉とは一体なんだ…‥?という根本的な疑問を抱きました。これが、焼肉をイチから見直すきっかけとなりました。

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