牛タンにレモンをかけるのは当たり前だと思っていたところ、Newsポストセブンが「牛タン塩にレモンをかけて食べたのは誰が最初だったか」というタイトルの興味深いニュースが飛び込んできた。
食文化に詳しい松浦達也という編集者さんのコラムだが、長い文章だったので、忙しい皆さんのために、その要点をまとめてみたのでご参考にどうぞ。
牛タンがメニューに登場した年
レモンの前に、牛タンが焼肉店のメニューに登場したのはいつ頃なのかまとめると以下の通りになる。
- 牛タンの歴史は新しく、焼肉店メニュー登場は1970年代
- 発祥店は「叙々苑」と銀座にあった「清香園」(閉店)の2店
説1)タン塩レモン叙々苑発祥説
叙々苑1号店が六本木できた1976年から間もなく、牛タンがメニューに加わるが、その経緯が創業者の回顧録こうあったという。
六本木に1号店をオープンして間もないころ、食肉業者に「何か新しいメニューにできるものはないかな」と相談しました。そうしたら「マスター、タンをやりなよ」と
(新井泰道著『焼肉革命』角川新書)
そこに、定番のレモンが加えられたのは、六本木のクラブホステスのアイデア……というより、わがままから生まれたというのだ。
ある日、タン塩を食べていたクラブホステスから
「マスター、タレはないの? このまま食べたらやけどするじゃないの!」
とリクエストが。タン塩用のタレはないと伝えると
「じゃ、レモン持ってきて。私はレモンが好きだから、レモンを絞ってたれ代わりにしてタン塩を食べる」
「マスター、これおいしい。合うよ。これたれにしたら?」
と、一人のホステスが提案から実食までを一気にこなしたという。Newsポストセブン「牛タン塩にレモンをかけて食べたのは誰が最初だったか」より引用
こうして「タン塩にはレモン」が生まれ「タン塩レモン叙々苑発祥説」となった。
説2)清香園総本店説
銀座にあった焼肉・清香園は、石焼ビビンパを日本に持ち込んだ店としても知られたアイデア焼肉店だった。今は店を畳んでしまったが、1919年生まれのこの店のマダム、張貞子氏が焼肉における牛たんのメニュー化と、レモンとの組み合わせを提案したというのが、「清香園総本店説」だという。
スウェーデンの空港で見たタンの薫製が出発点。表はザラザラ、裏はぐにゃぐにゃの分厚い皮がくせものだったが、冷凍してみたらうまくむけた。『それまで肉はタレをもみ込んで焼くものだったが、塩とレモンでさっぱり食べるようにしたら好評で、あっという間に広まった』という
(2005年7月23日付東京新聞)
実は清香園は1960年代にスウェーデンで行われた東洋料理の品評会に参加したのをきっかけに1970年にはストックホルムにも出店。いわば日本の飲食店海外展開の先駆けとも言える存在だったという。70年と言えば、日本の外食元年と言われた年。マクドナルド日本上陸の前年だ。
2説一方のみが正しいとは限らない
叙々苑説、清香園説のいずれかのみが正しいとも限らない。食べ物の発祥や発展は往々にして不思議なほど同じようなタイミングで可視化される。
「現在に至る焼肉の流れは、1946(昭和21)年に東京で創業した食道園(翌年大阪に移転)と明月館(叙々苑の創業社長、新井泰道氏の出身店)の2店が礎になっていると言われる。以降、連綿と綴られた焼肉の歴史は、食肉流通の歴史とも密接に関わっている」(松浦達也氏)というのだ。
結論:冷蔵インフラが充実と食味向上に要因か
物事には必ず理由がある。
戦後、貧弱だった冷蔵インフラが充実していくとともに「牛タンのメニュー化」がなされた。それでも独特の香りが気になる牛タンの食味向上のためレモンをかけるという発想が生まれた。これらの事象が同時多発的に起きたとしても不思議はない。
その起源に思いを馳せながら網の上の肉を返し、肉に舌鼓を打つ。そこでふと脳裏をよぎるのが、流通のよくなった現代における佳店のタン塩にレモンが必要か──という問題だ。肉に思いを馳せ始めるときりがない。
Newsポストセブン「牛タン塩にレモンをかけて食べたのは誰が最初だったか」より引用
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